前日に友人へ電話をしてから、自分の中にあったものが、少しだけ変わっていた。
何かが解決したわけではない。
嫁の様子が変わったわけでもない。
状況は昨日と何も変わっていなかった。
それでも、自分の中の感覚は確実に違っていた。
今までは、頭の中で同じ考えが何度も繰り返されていた。
答えの出ない問いを、一人で何度もなぞっていた。
でも、昨日はそれを言葉にした。
「最近、嫁の様子が少し変な気がしてて」
そう口に出した瞬間、自分の中にあった曖昧なものが、少しだけ輪郭を持った気がした。
朝、出勤の準備をしながら、そのことを思い返していた。
嫁はいつも通りキッチンに立っていた。
「今日、帰りは普通?」
「うん、たぶんいつも通り」
「分かった」
それだけのやり取りだった。
その会話をしながら、自分は冷静に状況を見ている自分に気づいた。
感情の中にいるというより、少し離れたところから見ているような感覚だった。
昨日までは、ただ漠然と考えていただけだった。
でも、誰かに話したことで、それが自分の外に出た。
それだけで、頭の中が少し整ったように感じていた。
仕事中も同じだった。
考えないわけではなかった。
それでも、同じところで思考が止まることは減っていた。
友人の言葉を思い出していた。
「そう感じるようになったのは、いつ頃から?」
その質問は、簡単なようで答えられなかった。
でも、その問いを受けたことで、自分がただ感情的になっているだけではなく、何かの積み重ねの中で今の状態に至っているのかもしれないと考えるようになっていた。
それは、疑うというより、状況を理解しようとする感覚に近かった。
浮気をしていると決めつけることはできない。
確かめたわけでもない。
それでも、今の状況を曖昧なままにしておくことが、自分にとって正しいのかどうかは分からなかった。
昼休み、スマホを開いた。
友人とのメッセージが残っていた。
「また何かあったら話せよ」
その一文を見て、少し気持ちが落ち着いた。
一人で考えていると、すべてが自分の中だけで完結してしまう。
正しいのか、間違っているのかも分からなくなる。
でも、話したことで、自分の考えを客観的に見られるようになっていた。
帰宅すると、嫁はリビングでスマホを見ていた。
自分が入ってきたことに気づくと、画面を閉じた。
「おかえり」
「ただいま」
それだけだった。
その行動に特別な意味があるのかどうかは分からなかった。
ただ、自分はその一つ一つを意識していた。
以前なら、気に留めなかったかもしれないことだった。
でも今は、それを見過ごすことができなくなっていた。
疑いたいわけではなかった。
本当は、何もないと思いたかった。
浮気など、現実のものとして考えたくはなかった。
それでも、自分の中で何かが変わり始めていることは分かっていた。
夜、ベッドに入ってからも、昨日の電話のことを思い出していた。
ただ話しただけだった。
助言をもらったわけでもない。
答えを教えてもらったわけでもない。
それでも、自分の中の混乱は少し収まっていた。
整理、というほど明確ではない。
それでも、自分が今どこに立っているのかを、少しだけ理解できた気がした。
離婚という言葉を、現実のものとして考える段階ではなかった。
そこまでの確信も、証拠もなかった。
でも、このまま何も考えずに過ごすことは、もうできないと思っていた。
昨日、自分は初めて、他人にこの話をした。
それは小さな一歩だった。
でも、自分にとっては確実に前に進んだ一歩だった。
そして、自分は少しずつ、現実を見ようとしていた。
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