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感情を抑えることに疲れた

疲れた、
という言葉が今の状態には一番近かった。

何かが壊れたわけではない。
大きな衝突があったわけでも、
限界を超えた決定的な瞬間あったわけでもなかった。

ある日突然動けなくなったわけでもない。
ただ、
抑え続けることに静かに疲れてしまった。

感情を出さないようにする。
波立たせないようにする。
自分の中で完結させる。

それは最初意識的な選択だった。
必要だと思ってやっていたし、
意味のあることだとも思っていた。

感情のままに動けば
後悔するかもしれない。
関係を壊してしまうかもしれない。
状況を悪化させるかもしれない。

だから、
抑えることは賢明な判断だと
自分に言い聞かせていた。

でも、
それを続けているうちに、
少しずつ何かがずれていった。

気づけば、
抑えること自体が目的になっていた。
感情をどう扱うかではなく、
とにかく出さないこと。
揺れないこと。
乱さないこと。

本来、
何のために抑えているのか。
誰を、何を守ろうとしているのか。
その理由がだんだん曖昧になっていた。

感情が出そうになるたびに、
理由を考える前に条件反射のように押し戻す。

今は違う。
まだ早い。
冷静でいなければ。

そうやって、
自分の中何度もブレーキをかけていた。

疲れは、
ある日突然やってきたわけではない。

一気に崩れるような疲労ではなく、
毎日少しずつ確実に溜まっていく種類のものだった。

強い不安が続いたわけでもない。
目に見えるストレス増えたわけでもない。

ただ、
常にどこかで力を入れている感覚が、
抜けなくなっていった。

気づいたときには、
もう余裕が残っていなかった。

我慢できないほど
苦しいわけではない。
でも、
これ以上同じことを
続けられる気もしなかった。

感情を抑えることは、
強さだと思っていた。
少なくとも、
弱さではないと信じていた。

でも、
今の自分にとっては違った。

抑えた感情は、
消えてなくなるわけではない。
静かに奥に押し込まれるだけだ。

溜まっていく。
行き場を失ったまま少しずつ確実に。

そして、
溜める器にも限界がある。

それを、
頭では分かっていたつもりだった。
でも、
本当の意味で理解したのは
この疲れを感じたときだった。

もうこれ以上、
同じやり方では続けられない。

そう思ったとき、
不思議と恐怖はなかった。

感情を抑えなくなったら、
どうなるのか。
何が起きるのか。

それを考える余裕すら、
もう残っていなかった。

代わりにあったのは、
静かな諦めと少しの安堵だった。

ああ、
もう無理をしなくていいのかもしれない。
そう思えたことがほんのわずかだけ楽だった。

感情を抑えることに疲れた、
という自覚は弱さの証明ではない。

むしろ、
これまで続けてきたやり方を、
見直すための合図のように感じている。

ここから先は、
別の向き合い方が必要なのだと、
体が先に教えてくれた。

そう思えるところまで、
ようやく辿り着いたのかもしれない。

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この記事を書いた人

「理由は分からないけれど、何かがおかしい気がする」
そんな感覚を抱いたことのある方に、少しでも共感していただけたらと思い、このブログを続けています。日々の出来事や感じたことを、自分なりの言葉で淡々と綴っています。

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