一つ一つは、
説明できないほどのことじゃない。
それは、
最初からずっと変わらない。
どれも
決定的ではないし
致命的でもない。
少し気になる
という程度の出来事だ。
問題なのは
その「質」ではなく「数」だった。
説明できない返事。
説明できない沈黙。
説明できない予定。
それらが少しずつ
確実に増えていく。
ある日の夜。
「今日はどうするの?」
ただ、
その日の流れを確認したかっただけだ。
「まだ決めてない」
短い返事。
特に感情は乗っていない。
「じゃあ、明日は?」
「分からない」
それで会話は終わる。
強い拒否もない。
苛立ちも感じない。
冷たさもない。
本当にそれだけのやり取りだ。
その会話をこれまで何度しただろう。
数えようとした瞬間、やめた。
多すぎて正確に思い出せなかったからだ。
理由を聞けばそれらしい説明はある。
忙しい。
まだ未定。
様子を見ている。
どれも、
現実的だし間違っていない。
納得しようと思えば
できなくはない。
一つ一つを取り上げれば
「まあ、そういうこともある」
で終わる話ばかりだ。
それでも、
説明できない感覚だけが残る。
言葉にできない。
理由も特定できない。
ただ、
「何かが合わない」
という感覚だけが消えずに残る。
一つなら、
流せた。
二つなら、
偶然と言えた。
三つ、四つと続いても、
「たまたま重なっただけ」
そう言い聞かせることができた。
でも、
それが増え続けると
説明の方が追いつかなくなる。
毎回、
新しい理由を用意しなければならない。
毎回、
自分を納得させる必要がある。
その作業自体が負担になっていく。
納得できない理由が積み上がっていく。
今はもう、
一つ一つを丁寧に考えているわけじゃない。
個別の出来事を
検証している段階は過ぎている。
全体として
「そういう状態」になっている。
説明できない出来事が、
点として存在しているのではなく
面として広がっている。
だから、
一つ消えても全体は変わらない。
説明できないことが増えた、
というより説明しなくてはいけない現実がそこにある。
それを、
認めざるを得なくなった。
無理に言葉を当てはめなくても
無理に結論を出さなくても
もう元には戻れない。
説明できないという状態そのものが
現実になってしまった。
その事実が静かに
しかし確実に自分を追い詰めていた。
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