最初は、自分の中で処理できると思っていた。
誰かに話すほどのことじゃない。
時間が経てば、自然と薄れていくはずだ。
そうやって、違和感の大きさを意識的に小さく見積もっていた。
口に出さなければ、
問題として存在しないような気もしていた。
自分の中で折り合いをつけられるなら、
それで十分だと思っていた。
「どうだった?」
何気なく投げられたその一言に
少しだけ間を置いて
「まあ、普通」と答えた。
普通、という言葉は便利だった。
詳しく説明しなくて済むし、
それ以上踏み込まれない安全な場所にいられる。
でも同時にその言葉は一番近そうで
一番本当から遠い答えでもあった。
本当は、普通なんて言葉では足りなかった。
けれど、それを別の言葉に置き換える気力がなかった。
誰かに話せば、少しは楽になる。
そんなことは分かっていた。
過去にも、何度も経験してきた。
それでも、
どこから話せばいいのか分からなかったし、
順序立てて説明する余裕もなかった。
自分の中ですら整理できていなかったからだ。
違和感は、
言葉にしないまま放置するほど
少しずつ重さを増していった。
はっきりとした痛みではない。
でも、確実に存在する重みだった。
気づけば、
それを抱えたまま動くことが
当たり前になっていた。
「最近、元気ないね」
そう言われた瞬間、
心配されていることよりも先に
否定する準備だけが頭に浮かんだ。
大丈夫だよ。
そんなことないよ。
気のせいだよ。
そう言えば、
この話題は終わる。
そう分かっていた。
一人で考え続けるうちに、
自分の視野が少しずつ狭くなっていくのが分かった。
別の見方を想像する余裕がなくなり、
正しいかどうかよりも、
これ以上耐えられるかどうかが
判断の基準になっていた。
前に進めているのか、
ただ踏みとどまっているだけなのか
分からなくなっていた。
この重さは、
一人で抱え続けるには
最初から無理があったのだと思う。
そう認めたとき、
限界を感じることは
弱さではないのかもしれないと思えた。
むしろ、
無理を無理だと気づけたこと自体が
一つの判断だった。
誰かに話すことは、
答えをもらうためでも
解決策を求めるためでもなかった。
ただ、自分の感覚を
現実の中に戻すために、
外の空気に触れさせるために、
必要なことだったのだと思う。
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