これまでは、
いくつか逃げ道があった。
本気で逃げていたわけではない。
ただ、考え続ける中で、
少しだけ呼吸を緩めるための余地が
残されていた。
「まだ判断する段階じゃない」
「もう少し様子を見よう」
「自分が考えすぎているだけかもしれない」
そうやって、
結論を出さずにいられる言葉が
頭の中にはいくつもあった。
その言葉を使えば、
今日は決めなくていい。
今は動かなくていい。
そう自分に言い聞かせることができた。
実際、
それで持ちこたえられていた時期もあった。
でも、
いつの頃からかそれらの言葉が、
以前ほど効かなくなってきた。
口にしてみても、
どこか空虚に響く。
自分自身がもう納得していないのが分かる。
嫁と過ごす日々は
相変わらず続いている。
生活は回っているし、
表面的には特別な破綻があるわけではない。
大きな衝突もない。
決定的な一言もない。
誰かが泣き崩れるような場面もない。
それでも、
何も変わらないまま続けることが、
一番苦しくなってきた。
このままでいいのかという問いが、
以前よりもはっきりと
重さを持って残るようになった。
逃げ道がなくなる、
というのは選択肢が一つになることではない。
むしろ逆だった。
選択肢はいくつもある。
問い詰めることもできる。
黙ったままでいることもできる。
距離を取ることもできる。
何もせずこれまで通りを装うこともできる。
でも、
どの選択肢を選んでも、
何かを失うことがはっきり見えてくる。
関係かもしれない。
信頼かもしれない。
安心かもしれない。
あるいは自分自身の感覚かもしれない。
失わずに済む道が
見当たらなくなってきた。
特に
「何もしない」という選択が
もう中立ではなくなっていた。
何もしないでいることも
一つの選択だ。
現状を受け入れ
この状態を続ける
という意思表示でもある。
その重さを無視できなくなってきた。
選ばない、
という選択を続けていることが
自分を少しずつ削っている
という感覚があった。
嫁の前では、
これまで通り振る舞っている。
会話もする。
必要なことは伝える。
生活は一見すると何も変わっていない。
少なくとも表面上は。
でも、
自分の内側では
もう後ろに下がる余地が
ほとんど残っていなかった。
考えないようにする。
見ないようにする。
そうした動きが
どんどん難しくなっていた。
逃げ道がなくなってきた
という感覚は
追い詰められている
というものとは少し違っていた。
誰かに責められているわけでもない。
期限を突きつけられているわけでもない。
ただ、
現実がじわじわと周囲を囲んでくる。
どこへ進んでも、
現実からは出られない。
そう気づいてしまった、
という感覚に近かった。
ここまで来て、
ようやく分かったのだと思う。
逃げ道がなくなったのではない。
逃げ続けることができなくなったのだ。
それは、
苦しさであると同時に
次の段階に進むための
前触れでもあったのかもしれない。
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