MENU

もう戻れないところまで来た気がした

何か決定的な出来事があったわけではない。
大きな衝突があったわけでも、
はっきりとした境界線が引かれたわけでもなかった。

振り返れば、
日常はこれまでと同じように続いていたし、
表面的には、何も変わっていないようにも見えた。

それでも、
「もう戻れない」という感覚だけは、
確かにそこにあった。

理由を探そうとすれば、
いくつか思い当たることはある。
でも、そのどれか一つが原因だとは言えなかった。

ただ、気づいたら、
以前なら迷っていたはずのことを、
ほとんど迷わなくなっていた。

どう思われるかを考えなくなり、
期待することも減り、
説明を求める気力も、
少しずつ薄れていた。

「分かってほしい」という気持ちよりも、
「分かってもらえない前提」の方が、
自然になっていた。

少しずつ、
引き返すための道具を、
自分の手で手放してきたのだと思う。

話し合おうとする姿勢。
期待を持ち続ける余白。
まだ変わるかもしれない、という想像力。

それらを、一気に失ったわけではない。
必要ないと感じたものから、
一つずつ置いてきただけだった。

もし今、
何かが急に変わったとしても、
もう同じ場所には立てない。
そう感じていた。

以前と同じ言葉を交わしても、
同じ状況に戻ったとしても、
同じ見方ではいられない。

自分の中の視点が、
すでに別の位置に移動してしまっていた。

それは諦めという言葉よりも、
理解に近かった。

感情が追いつく前に、
状況だけが先に整理されていて、
「こういうことなんだ」と、
頭のどこかで静かに分かってしまっていた。

悲しみや怒りが爆発する前に、
納得だけが先に来てしまったような感覚だった。

もう戻れないところまで来た、
という言葉は、
絶望的な響きではなかった。

叫びたくなるようなものでも、
嘆き続けるようなものでもなく、
ただ静かに、
事実として横たわっていた。

そこには、
まだ感情の整理が追いついていない余白があったけれど、
これまでの延長線上には、
戻れないことだけは分かっていた。

ただ、
ここから先は、
これまでとは違う選択をしなければならない。

同じ判断基準では進めないし、
同じ我慢の仕方もできない。
そのことだけが、
はっきりと輪郭を持っていた。

確信は、
決断を迫る形では現れない。

今すぐ選べ、と背中を押すのではなく、
逃げ場を少しずつなくす形で、
ゆっくりと居座る。

気づいたときには、
もう戻るための理由より、
進むしかない理由の方が、
多くなっている。

それが、
確信というものなのだと思う。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

「理由は分からないけれど、何かがおかしい気がする」
そんな感覚を抱いたことのある方に、少しでも共感していただけたらと思い、このブログを続けています。日々の出来事や感じたことを、自分なりの言葉で淡々と綴っています。

コメント

コメントする

目次