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日常を客観視するようになった

記録を続けていると、
少しずつ一歩引いた視点が身についてきた。

その変化は、
日々の中ではほとんど自覚できない。
ただ、
後から読み返したときにはじめて分かる。

「ああ、
この頃は、嫁との関係が
こういう状態だったのか」
そんなふうに当時の自分を外側から見るようになる。

嫁と交わした会話。
返ってきた反応。
何も言われなかった時間。

それらを、
その場ですぐに判断しなくなっていた。

良い対応だったのか。
冷たかったのか。
問題なのか気にしすぎなのか。

以前は、
その都度答えを出そうとしていた。
感情で反応し、意味を探し、一喜一憂していた。

今は、
そういった評価をすぐにつけなくなっていた。

代わりに、
「今はこういう距離感だ」
「このやり取りが、しばらく続いている」
と捉えるようになっていた。

それは、
嫁に対して冷めたわけでも、
諦めたわけでもなかった。
距離を取って突き放している、
という感覚とも違う。

ただ、
一歩引くことで、
見えるものが増えただけだった。

以前は、
嫁の言葉一つ、
表情の変化一つに、
強く反応していた。

言葉の選び方。
返事の早さ。
沈黙の長さ。

その一つひとつに意味を見出そうとして、
気持ちが大きく揺れていた。

今は、
それらを一度、
観察対象として置くことができる。

「これは、いつから続いているか」
「他の日と比べて、どうか」
「一時的なものか、
それとも関係性の流れか」

そんなふうに、
少し時間軸を広げて考えるようになっていた。

日常を客観視することで、
感情がなくなったわけではない。
寂しさも、不安も、ちゃんとそこにある。

ただ、
それに飲み込まれなくなった。

嫁の言動に感情が動いた瞬間も、
「今、自分はこう感じているな」
と、一歩引いて見ることができる。

自分の感情も、
夫婦の日常の一部として眺める。
それが、少しずつできるようになっていた。

その視点は楽でもあり、
同時に少し寂しくもあった。

夫である自分が、
同時に観察者にもなっている。
その二重構造が、
いつの間にか当たり前になっていた。

完全に入り込むこともなく、
完全に切り離すこともない。
その中間に今の自分の居場所ができていた。

それによって守られている
部分があることも確かだった。

感情に飲み込まれて、
身動きが取れなくなることは減った。
嫁の一言で、一日が崩れることも少なくなった。

その代わり、
強い実感が薄れる瞬間もあった。

それでも今は、
この距離感が必要なものだと感じている。

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この記事を書いた人

「理由は分からないけれど、何かがおかしい気がする」
そんな感覚を抱いたことのある方に、少しでも共感していただけたらと思い、このブログを続けています。日々の出来事や感じたことを、自分なりの言葉で淡々と綴っています。

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