MENU

気づかないふりはできなかった

最初は、
気づかないふりができていた。

意識的に無視していた
というほど強いものではない。
ただ、
深く考えないようにしていただけだった。

忙しいから。
疲れているだけだから。
今は余裕がない時期だから。

そういう理由はいくつも思いついたし
どれもそれなりに納得できた。

嫁の行動や態度についても、
一つひとつを切り取って見れば
特別おかしいとは言い切れなかった。

会話が少ない日があっても、
そういう日もあると思えた。
距離を感じる瞬間があっても、
たまたまだと処理できた。

深く考えなければ
日常は問題なく回っていた。

食事をして、生活をこなし、
必要な会話は成立している。

表面だけを見れば
何も壊れていないようにも見えた。

でも、
同じことが何度も続くと
その処理は少しずつ難しくなっていった。

一度なら偶然。
二度なら気のせい。
でも、
それが何日も、何週間も続くと、
「たまたま」と言い切るのが苦しくなる。

違和感が点ではなく
線になっていった。

一つひとつは小さな出来事でも
重ねると確かな傾向として見えてくる。

記録を見返すと
同じような日が並んでいる。

同じような距離感。
同じような沈黙。
同じようなそれ以上踏み込まない空気。

その並びを見てしまうと、
もう「気のせい」とは言えなかった。

それを知っているのに
何も気づいていない顔で
これまで通り嫁と接し続けることに
少しずつ無理が出てきた。

表情を作ることはできる。
会話を合わせることもできる。

でも、
内側ではずっと
分かってしまっている。

分かっているのに
分かっていないふりをする。

そのズレが
静かに負担になっていった。

気づかないふりをするというのは、
相手のためでも関係のためでもなかった。

衝突を避けるためでも
優しさからでもなかった。

自分がこれ以上考えなくて済むようにするための、
一時的な処理だった。

考えなければ、
悩まずに済む。
疑わなければ、
苦しくならずに済む。

そう信じてふりを続けていた。

でも、
その処理は次第に効かなくなってきた。

ふりをするためには、
意識的に目を逸らし続ける必要がある。
見えたものを、
その都度打ち消し続けなければならない。

それは、
想像していた以上に消耗することだった。

気づいてしまったものを
元に戻すことはできない。

一度見えてしまった現実を
見えなかった状態に戻すことはできない。

その事実を
ようやく受け入れざるを得なくなった。

これは、
気づいてしまった、
という話ではない。

気づかないふりを
もう続けられなくなった、
という話だった。

そこに至ったこと自体が
一つの変化だったのだと思う。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

「理由は分からないけれど、何かがおかしい気がする」
そんな感覚を抱いたことのある方に、少しでも共感していただけたらと思い、このブログを続けています。日々の出来事や感じたことを、自分なりの言葉で淡々と綴っています。

コメント

コメントする

目次