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一人で抱え込んでいる実感

これまでも一人で考えている
という自覚はあった。
でもそれは自分で選んで
そうしているという感覚だった。

誰かに話さないのは、
今はその段階ではないと思っていたから。
まだ自分の中で整理できていないものを、
途中の形のまま外に出したくなかった。

もう少し考えてから。
もう少し整理してから。
そのほうが相手にも伝わりやすいはずだと、
そう思っていた。

だから、一人で考えている状態は、
一時的なもののつもりだった。

必要になれば、
いつでも誰かに話せる。
そんな余白が、
自分の中には残っていると思っていた。

けれど、
いつの間にか、
それは選択ではなく、
状態に変わっていた。

記録を続け、考えをまとめ、
感情と距離を取りながら過ごすうちに、
「誰にも共有しない」という前提が、
当たり前になっていた。

話そうかどうか、
迷うことすら減っていた。

最初から、
一人で処理するものとして
扱うようになっていた。

相談していない。
打ち明けてもいない。
意見をもらってもいない。

それなのに、
考えることだけは続いている。
整理も、判断も、
全部一人で進めている。

それでも毎日は過ぎていく。
仕事も、生活も、
大きくは崩れていない。
周囲から見れば
特に問題はなさそうに見えていたと思う。

その事実に、
ある時はっきりと気づいた。

これは一人で抱え込んでいる状態だ。

そう言葉にした瞬間、
それまでぼんやりとしていた重さに輪郭が生まれた。

一人で考えているのと
一人で抱え込んでいるのは
似ているようでまったく違う。

前者には、
まだ余白がある。
誰かに話す可能性も、
考えを変える余地も残っている。

でも後者には、
逃げ場がない。
外に出る道を自分で閉じてしまっている。

抱え込んでいると、
誰にも見えない場所で、
少しずつ体力が削られていく。

一気に消耗するわけではない。
目に見えて疲れるわけでもない。
ただ、
気づかないうちに、
余力だけが減っていく。

表情は変わらない。
生活も崩れていない。
いつも通りの振る舞いもできている。

それでも、
内側だけが、
確実に摩耗していた。

この実感は強い不安というより
とても静かなものだった。

焦りや恐怖よりも、
「そうだったのか」という
確認に近い感覚だった。

自分は今一人で抱え込んでいる。
その事実を初めて正面から認識したそんな瞬間だった。

気づいてしまった以上、
もう「平気なふり」はできなかった。
大丈夫だと思い込もうとしても、
その言葉が自分に届かなくなっていた。

一人で抱え込んでいるという事実が、
記録の行間にはっきりと残り始めた。

書いていない部分にも、
言葉にしていない余白にも、
その実感が静かに滲み出てくるようになっていた。

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この記事を書いた人

「理由は分からないけれど、何かがおかしい気がする」
そんな感覚を抱いたことのある方に、少しでも共感していただけたらと思い、このブログを続けています。日々の出来事や感じたことを、自分なりの言葉で淡々と綴っています。

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