記録を続けるうちに、
自分の中の流れが少しずつ変わってきていることに気づいた。
最初はただ事実を書き残すだけだったはずなのに、
振り返って読み返す時間が増えるにつれて、
その一つ一つが別の意味を持ち始めていた。
そこに書かれているのは、
特別な出来事でも、
決定的な場面でもない。
ただの生活の断片ばかりだ。
それでも、
並べてみると、
そこに確かな連続性があることを感じるようになっていた。
以前は、
何かを決めることをできるだけ避けていた。
判断することは、
何かを失うことに繋がるような気がしていたし、
まだその段階ではないと自分に言い聞かせていれば、
現実に向き合わなくても済むと思っていた。
判断をしないことは、
一種の防御でもあった。
考え続けることはできても、
決めることは怖かった。
だから、
まだ考える時期だと自分に言い続けていた。
けれど、
記録が積み重なっていくうちに、
その「まだ早い」という言葉が少しずつ弱くなっていった。
何かを急いで決めたいわけではない。
今すぐ行動に移したいわけでもない。
それでも、
以前のようにただ先延ばしにするだけでは、
どこか足りないような感覚が残るようになってきた。
気持ちはまだ揺れているし、
確信があるわけでもない。
それでも、
自分の中で準備が始まっていることは、
はっきり分かっていた。
準備といっても、
大げさなことをしているわけではない。
誰かに相談したり、
情報を集めたりしているわけでもない。
ただ、
心の中で少しずつ場所を空けているような感覚に近かった。
もし判断しなければならない時が来たら、
その時に慌てないように、
自分の考えを整えている。
そんな状態だった。
まだ決めるわけではないが、
いつか決めるかもしれないという前提が、
自然と頭の中に居場所を持ち始めていた。
以前は、
「考えること」と「決めること」は、
まったく別のものだった。
考えるだけなら安全な場所にいられるし、
どちらにも進まなくて済む。
けれど今は、
考え続けることそのものが、
少しずつ次の段階に近づいているように感じられる。
判断する準備というのは、
答えを出すことではなく、
答えを出さなければならないかもしれない現実を、
少しずつ受け入れていくことなのだと思った。
記録を見返していると、
当時の自分がどんな気持ちでその一行を書いたのかが、
なんとなく伝わってくることがある。
短い言葉の中に、
迷いがあった日もあれば、
妙に落ち着いていた日もある。
そうした小さな差が重なって、
今の自分の状態を形づくっている。
気づかないうちに、
少しずつ前に進んできたのかもしれない。
そう思えるようになったこと自体が、
これまでとは違う変化だった。
それでも、
まだ判断する覚悟が完全に固まったわけではない。
もし何かを決めてしまえば、
その先の現実が大きく動き出す可能性がある。
それを分かっているからこそ、
慎重になっている部分もある。
ただ、
以前のように「何も考えないふり」をすることは、
もうできなくなっていた。
考え続けてきた時間が、
少しずつ自分の中の重さを変えているのが分かる。
準備が整いつつあるというのは、
何かが完成したという意味ではない。
むしろ逆で、
まだ迷っているからこそ、
少しずつ整えているという感覚だった。
いつか向き合う日が来るかもしれない。
その時に、
自分の気持ちがばらばらのままではいられない。
そう思うようになったことが、
これまでとの一番大きな違いだった。
急に強くなったわけではないし、
覚悟が決まったわけでもない。
ただ、
逃げ続けることだけは、
もうできない場所まで来ているという実感があった。
何を選ぶのかは、
まだ分からない。
どの道を進むのかも、
決めていない。
それでも、
考えたことをそのままにせず、
少しずつ自分の中で並べ替えていく。
そんな静かな準備の時間が、
確かに続いていた。
判断する準備が整いつつあるという感覚は、
不思議と焦りを生まなかった。
むしろ、
落ち着きに近かった。
何も決まっていないのに、
少しだけ前を向けているような気がする。
それは、
記録を続けてきた時間が、
自分の中に積み重なっているからなのかもしれない。
まだ決めない。
それでも、
いつか決めるかもしれない。
その両方を抱えたまま、
今日もまた一行を書き足していた。
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