ここまで来ると一番疑わしくなってきたのは、
周囲の状況ではなく自分自身だった。
本当に自分の感じていることは正しいのか。
違和感だと思っているものは
単なる思い込みではないのか。
感情が先走って意味のない出来事に
無理やり意味を与えているだけかもしれない。
そう考え始めると
これまで少しずつ積み上げてきた感覚が
一気に不安定になる。
今まで見てきたもの。
考えてきたこと。
書き留めてきた違和感。
それらすべてが
急に信用できなくなる。
「自分が変わっただけじゃないのか」
そんな疑いが頭の中で何度も繰り返された。
仕事が忙しくなったせいかもしれない。
年齢を重ねて細かいことが気になるようになっただけかもしれない。
余裕がなくなって
必要以上に神経質になっている可能性もある。
理由はいくらでも思いつく。
それらを一つずつ並べていくほど
自分の直感を信じる根拠が
少しずつ削られていく。
「全部、自分の問題なんじゃないか」
そう考えたほうが
ある意味では楽だった。
相手が変わったのではなく
自分が勝手に不安定になっているだけ。
そう結論づけられたら、
これ以上何かと向き合わなくて済む。
その日の夜、
何気ない流れで少しだけ会話をした。
ソファに並んで座りテレビを眺めながら。
「最近、仕事どう?」
嫁が、
画面から目を離さずに聞いてきた。
「まあ、忙しいかな」
「ずっと?」
「うん、しばらくは」
それだけのやり取り。
少し間があって、
こちらからも聞いてみた。
「そっちは?」
「ん?」
「仕事」
嫁は、
一瞬考えるようにしてから答えた。
「普通だよ」
「そっか」
会話はそこで止まった。
沈黙が不自然だったわけではない。
いつものことだ。
それでも胸の奥が、
少しだけざわついた。
今の返事は、
本当に「普通」だったのか。
そう感じてしまう自分に、
すぐブレーキをかける。
ほら、
まただ。
何でもない会話に
意味を探そうとしている。
「なに考えてるの?」
突然、
そう聞かれて、
少しだけ驚いた。
「え?」
「さっきから、ぼーっとしてる」
「ああ…ちょっと疲れてるだけ」
「無理しすぎじゃない?」
「大丈夫」
そう言って軽く笑ってみせる。
嫁も、
それ以上は何も言わず
テレビに視線を戻した。
その様子を見てまた考えてしまう。
今のやり取りに何か違和感があったのか。
それとも本当に自分の受け取り方がおかしいのか。
分からない。
分からないからこそ
自分の感覚を疑ってしまう。
ここまで疑い始めているなら
やはり自分の問題なのではないか。
そう思おうとしても
完全には切り捨てられなかった。
疑っているのに信じきれない。
否定しようとしても
どこかで引っかかる。
自分の直感を疑うという行為自体が
すでに以前とは違う場所にいる証拠のようにも感じられた。
以前ならこんなふうに
自分の感覚そのものを疑うことはなかった。
今は、
感じていることも、
疑っている自分も、
どちらも否定できない。
その宙ぶらりんな状態がさらに思考を深くしていった。
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