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現実から目を逸らせなくなった

これまでは、
見ないようにすることで、どうにか保っていた部分があった。
正面から向き合わなければ壊れずに済むものがあると、どこかで信じていた。

気づいていないふりをしていれば、
まだ選択肢は残っているように思えた。
白か黒かを決めなくていい状態は、
可能性が残っている状態のようにも見えた。

判断を先送りにすることで、
何かを失わずにいられる気がしていたし、
自分を守るための、
十分な理由にもなっていた。

曖昧でいることは、
逃げではなく慎重さだと、
そう言い聞かせていた。

でも、ある時から、
目を逸らしている対象よりも、
目を逸らしている自分自身の存在が、
はっきりと分かるようになった。

本当は見えているのに、
あえて視線を外している。
分かっているのに、
分からないふりをしている。

その自覚が生まれた瞬間から、
曖昧さは少しずつ意味を変えていった。

都合よく解釈している自分がいた。
納得できない点を、
「今は考えなくていい」と脇に置いて、
無理に丸め込んでいる自分がいた。

それは現実を受け止めているのではなく、
現実を薄く引き延ばして、
触れた感覚を鈍らせているだけだった。

違和感は、もう曖昧ではなかった。
点のままなら見ないふりができたものが、
いつの間にか線になり、
線が形になってしまった。

一つひとつは小さな出来事だった。
その場では流せる言葉で、
見過ごせる態度で、
深刻に捉えなくても済んだはずのものばかりだった。

でも、それらが積み重なったとき、
もう「気のせい」とは言えなくなった。
全体として見えてしまったものは、
元の曖昧な断片には戻らなかった。

気づかなければ、
もっと楽だったと思う。
疑問を持たずにいられたし、
期待も、解釈も、
これまで通り続けられたかもしれない。

でも、
一度気づいてしまった以上、
もう元の視点には戻れなかった。

知らなかった自分には戻れない。
見えていなかった頃の自分を、
もう本気では信じられなかった。

現実は、
残酷というほど感情的なものではなかった。
誰かに怒りをぶつける余地もなく、
悲劇的に嘆くような場面もなかった。

ただ、
そこにあるものが
そのままの形で存在していた。

静かで、
言い訳の通用しない状態だった。
誰かのせいにするには弱く、
自分を誤魔化すにはあまりにもはっきりしていた。

目を逸らせなくなった、というより、
逸らす理由そのものがもう見当たらなくなった。

見ないことで守れるものより、
見ないことで失っているものの方が
はっきりしてしまったからだ。

それが、
確信に近づいた瞬間だったのだと思う。

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この記事を書いた人

「理由は分からないけれど、何かがおかしい気がする」
そんな感覚を抱いたことのある方に、少しでも共感していただけたらと思い、このブログを続けています。日々の出来事や感じたことを、自分なりの言葉で淡々と綴っています。

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