一度、
この状況を外から見たらどう映るのかを考えた。
自分の中だけで抱えていると、
感覚はどうしても偏っていく。
だから、
もしこれを誰かに話したらどうなるのか、
という視点で整理してみようと思った。
事実だけを並べて、
余計な感情は乗せない。
起きたこと、
感じたこと、
引っかかった瞬間。
それらをそのまま言葉にしたとき、
相手はどう受け取るだろうかと想像した。
大げさだと思われるかもしれない。
考えすぎだと言われるかもしれない。
そう思うと、
最初は少し怖さもあった。
でも同時に、
もし何も知らない第三者が聞いたとして、
本当に何も感じないだろうか、
とも思った。
決定的な出来事はない。
はっきりと説明できる異常もない。
それは今までと同じだ。
ただ、
小さな違和感が積み重なっている、
という事実だけは確かにある。
一つだけなら
気にも留めなかったこと。
二つでも、
たまたまだと思えたこと。
でも、
いくつも重なってくると、
無視するには少し多い気がしてくる。
もし、
これを順番に話したら。
「気のせいじゃない?」
と笑われるだろうか。
それとも、
「それは少し気になるね」
と静かに言われるだろうか。
そこが知りたかった。
誰かに話すつもりは、
この時点ではまだない。
ただ、
話す可能性を頭の中で想定することで、
自分の感じていることを客観的に見直せる気がした。
説明できない違和感は、
自分の中だけにあると
形を持たないまま広がっていく。
でも、
誰かに話す前提で整理すると、
曖昧な部分が少しずつ輪郭を持ち始める。
何が引っかかっているのか。
どこが気になっているのか。
自分でもよく分かっていなかった部分が、
少しずつ言葉にできるようになる。
それは、
誰かに理解してもらうためというより、
自分が自分を理解するために近かった。
もし話すとしたら、
どこから説明するだろう。
どの出来事を最初に持ってくるだろう。
そう考えるだけで、
頭の中の出来事が自然と整理されていく。
まだ結論はない。
判断もしていない。
ただ、
自分の中にあるものを
一度外に出す想定をしてみただけだ。
それだけで、
少しだけ冷静になれた気がした。
抱え込んだまま考え続けるより、
「話すかもしれない」という前提を置く方が、
不思議と落ち着いて状況を見られる。
実際に話すかどうかは、
まだ分からない。
でも、
その可能性を一度でも考えたことで、
自分が感じている違和感を
軽く扱えなくなってきているのも確かだった。
これは大したことじゃない、
と思い込もうとする気持ちと、
やはり何かあるのかもしれない、
という感覚。
その間で揺れている自分を、
少し離れた場所から見ているような感覚があった。
誰かに話すかもしれない。
ただそれだけの想定が、
今の自分の状態をはっきりさせ始めていた。
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