友人に話してから数日が経っていた。
状況は何も変わっていない。
嫁の態度も、生活の流れも、これまでと同じだった。
それでも、自分の中の見え方は少しずつ変わっていた。
あの日、電話の最後に友人が言った言葉が、ずっと頭に残っていた。
「お前がどう感じてるかは、大事にしたほうがいいと思う」
その言葉は、強いものではなかった。
何かを断定するものでもなかった。
それでも、自分にとっては大きな意味を持っていた。
今まで、自分の考えが正しいのかどうか分からなかった。
考えすぎているだけなのかもしれないと思っていた。
疑うこと自体が、間違っているのではないかと思っていた。
でも、あの言葉を聞いたとき、自分の感じていることを否定しなくてもいいのかもしれないと思えた。
その日の夜、嫁はリビングでテレビを見ていた。
自分は少し離れた場所に座った。
「今日、帰り遅かったね」
嫁が言った。
「少し仕事が長引いただけ」
「最近、忙しそうだね」
「そうだな」
それだけの会話だった。
何もおかしくはなかった。
普通の夫婦の会話だった。
それでも、自分はそのやり取りを冷静に受け止めている自分に気づいていた。
以前は、その一つ一つに意味を探そうとしていた。
でも今は、ただ事実として受け止めていた。
友人の言葉を思い出していた。
「無理に結論を出そうとしなくていいと思う」
その言葉を聞いたとき、自分の中にあった焦りが少し和らいだ。
何かをすぐに決めなければならないと思っていた。
この状況を放置してはいけないと思っていた。
浮気をしているのかどうか、はっきりさせなければならないと思っていた。
でも、焦ることが正しいとは限らないのかもしれないと思い始めていた。
大事なのは、自分がどうしたいのかを理解することなのかもしれない。
昼休み、会社の外で一人座っていた。
周囲では、同僚たちが他愛のない話をしていた。
笑い声も聞こえていた。
その中で、自分は少し離れた場所にいた。
孤独というわけではなかった。
ただ、自分の中で考える時間が必要だった。
友人は、自分の話を否定しなかった。
大げさだとも言わなかった。
「そう感じるなら、それは意味があることだと思う」
その言葉は、自分を安心させた。
今まで、自分の考えを信じていいのか分からなかった。
でも、第三者の視点から見ても、自分の感じていることは無視するべきものではないのかもしれないと思えた。
それは、疑いを強くするものではなかった。
むしろ、自分を落ち着かせるものだった。
夜、帰宅すると嫁はキッチンに立っていた。
「おかえり」
「ただいま」
嫁の横顔を見ながら、思った。
この人との時間は、本物だったはずだった。
一緒に過ごしてきた時間も、積み重ねてきたものも、確かに存在していた。
だからこそ、簡単に答えを出すことはできなかった。
離婚という選択を考えるには、まだ現実がはっきりしていなかった。
何も確かめていない状態で、結論を出すことはできなかった。
それでも、何も考えないままでいることもできなかった。
友人に話したことで、自分の中の視野が少し広がった。
自分一人の中だけで考えていたときは、同じ場所を何度も回っていた。
でも、誰かの視点を通すことで、少し違う角度から見ることができるようになっていた。
それは、答えを与えてくれるものではなかった。
でも、自分を支えてくれるものだった。
その夜、ベッドに入りながら思った。
自分はまだ途中にいる。
何も終わっていない。
何も決まっていない。
浮気をしているのかどうかも、まだ分からない。
それでも、もう目を逸らすことはできないと思っていた。
そして、自分は少しずつ、この現実に向き合い始めていた。
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