これまでは、
自分なりに受け止めているつもりでいた。
事実を記録し感情を抑え、
できるだけ冷静に状況を見ようとしてきた。
起きていることを言葉にし、
混乱しないように整理する。
それは、
現実と向き合っている行為だと、
自分では思っていた。
実際、
目を逸らしているつもりはなかった。
都合のいい解釈だけをしている
という自覚もなかった。
ただ、今振り返ると、
そこには一つの前提があった。
「まだ決定的ではない」
「何か別の可能性があるかもしれない」
そうした余地を
どこかで残したままの受け止め方だった。
完全には否定しない。
でも、完全には認めない。
現実を見ているようで
まだ距離を取っていた。
ある時からその余地が
少しずつ狭くなっていった。
急に何かが起きたわけではない。
大きな出来事があったわけでもない。
むしろ何も起きていないことが
積み重なっていった。
嫁と同じ空間にいても、
会話が途切れる時間が
以前より長くなった。
必要な用事があれば話す。
確認すべきことは確認する。
でも、そこから先に話が広がらない。
雑談にならない。
気持ちを共有する流れにもならない。
その静けさが、
一時的なものではなく、
続いているという事実。
最初は、
疲れているだけかもしれない。
忙しい時期だからかもしれない。
そう考えていた。
でも、
日が経っても、週が変わっても、
その状態は変わらなかった。
その積み重ねを
ようやくそのまま受け取れるようになってきた。
理由を探さず、意味づけをせず、
希望や疑念を挟まずに。
受け止めるというのは、
理解することではなかった。
「なぜこうなったのか」を
説明できることでもない。
納得することでも、
気持ちが整理されることでもない。
もっと単純で、
もっと重たいものだった。
「今、こうなっている」
と認めること。
良いとか悪いとか、
正しいとか間違っているとか、
そうした評価を一度脇に置く。
ただ、目の前の状態を
そのまま置いておく。
逃げない代わりに解釈もしない。
それが、今の自分にできる
精一杯の受け止め方だった。
現実を受け止め始めた、
という感覚は、
前進という言葉とは少し違っていた。
何かを決めたわけでもない。
覚悟が固まったわけでもない。
気持ちが軽くなったわけでもない。
むしろ、
立ち止まっている感覚に近い。
これ以上、
都合のいい想像で前に進むこともできない。
かといって、
無理に結論へ押し出すこともできない。
ただ、
今の場所にそのまま立っている。
動かないことを選んだ
というより動けない状態を
否定しなくなった。
それが、
現実を受け止め始めた
ということなのだと思う。
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