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記録が心を守っていた

振り返ってみると、
記録は答えを出すためのものではなかった。

正解を見つけるためでも、
結論に辿り着くためでもなかった。

もっと言えば
状況を好転させる力があったわけでもない。

それでも
記録は確かに役に立っていた。

それは
自分を守るためのものだった。

もし記録をしていなければ、
どうなっていたかは正直分からない。

感情に飲み込まれていたかもしれない。
疑念に振り回され、
一つひとつの出来事に過剰に反応し、
衝動的な行動を取っていたかもしれない。

何も考えずに問い詰めていた可能性もあるし、
逆に、何も感じないふりをして
自分の感覚を切り捨てていた可能性もある。

どちらに転んでも
自分を大きく消耗させていた気がする。

書くことで
一度立ち止まることができた。

感情が高ぶったとき、
すぐに行動に移すのではなく
まず言葉にする、という選択肢があった。

考えを外に出し、紙の上に置くことで、
頭と心の距離を少しだけ保つことができた。

完全に冷静になれるわけではない。
感情が消えるわけでもない。

それでも、
自分の内側で起きていることを
一度「眺める」ことはできた。

嫁に対して、
何も言えないまま過ごしていることに
自分でも不安はあった。

このままでいいのか。
何も伝えずに、
時間だけが過ぎていくことは
正しいのか。

そうした問いは
何度も浮かんでは消えた。

それでも記録があったことで、
自分が何を感じているのか、
何を恐れているのかだけは
見失わずにいられた。

誰にも言えなくても、
誰にも打ち明けられなくても、
何も残らないわけではなかった。

言葉は、
ここに残っていた。

記録は、
理解者ではない。
共感も、
慰めもくれない。

「それはつらかったね」と
言ってくれることもなければ、
「大丈夫だよ」と
励ましてくれるわけでもない。

ただ、
そこにあるだけだ。

でも、
それでよかったのだと思う。

感情を肯定も否定もせず、
判断もせず、ただ残しておく。

それが、
心が壊れてしまうのを防ぐ
最低限の役割を果たしていた。

一人で考える限界を感じ、
それでもすぐには誰にも頼れず
消えない感情があることを受け入れながら
ここまで保てている。

大きく崩れることもなく
自分を見失うこともなく
日常を続けられている。

その事実を改めて見たとき
ようやく言葉にできた。

記録が自分の心を守っていたのだと。

答えをくれなくてもいい。
結論に導いてくれなくてもいい。

ただ、
ここまで耐えられる状態を保ってくれていた。

それだけで十分だった。

この記録がなければ、
今の自分はもう少し違う場所にいたかもしれない。

良い意味でも、
悪い意味でも。

そう考えると、
記録は、静かで、地味で、
目立たない存在だったが、
確かに支えになっていた。

それを認められたこと自体が
一つの節目なのだと思う。

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この記事を書いた人

「理由は分からないけれど、何かがおかしい気がする」
そんな感覚を抱いたことのある方に、少しでも共感していただけたらと思い、このブログを続けています。日々の出来事や感じたことを、自分なりの言葉で淡々と綴っています。

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