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一人で考える限界を感じた

ここまでずっと一人で考えてきた。

誰かに相談することもなく、
答えを外に求めることもなく、
自分の中だけでどうにか整理しようとしてきた。

記録を残し、事実を並べ、
感情を抑えながら一つずつ
確認するように考えてきた。

そのやり方は間違って
いないと思っていた。
少なくとも感情に流されて
衝動的な行動を取るよりは、
ずっと慎重で自分を守れているように感じていた。

実際、
以前より混乱は少なくなっていた。
頭の中は整理され状況も把握できている気がしていた。

だから、
このまま考え続ければいつかは答えに辿り着ける。
そう信じていた。

でも、
ある時はっきりと感じた。

これ以上は一人では進めない。

嫁の行動について、
疑っている自分がいる。
それは否定できない事実だった。

同時に、
確証のない疑いで、
夫婦関係を壊したくない自分もいる。

軽々しく問い詰めることで、
取り返しのつかない亀裂を生むことを
強く恐れている自分もいる。

その二つの気持ちを
一人で抱えたまま、
行ったり来たりしていた。

どちらかを選べば、
必ずもう一方が傷つく。
そう思うと、
立ち止まるしかなかった。

考え続ければ、
いつかは答えに辿り着く。
最初は本気でそう信じていた。

でも、
いつの間にか気づいた。

考える材料は、
もう出揃っている。
新しい事実が増える気配もない。
視点を変えても、
同じところを回っている。

それでも、
結論が出ない。

それはつまり、
問題が「情報不足」ではない
ということだった。

どれだけ考えても答えが出ないのは、
判断そのものが、自分一人では抱えきれない性質のものだからだ。

一人で考えるという行為は確かに自由だ。

誰にも邪魔されず、
自分のペースで、
好きなだけ時間をかけられる。

でも同時にとても閉じた空間でもある。

反論はない。
別の視点も入ってこない。
自分の考えを揺さぶるものが外からは届かない。

どれだけ考えても、
行き着く先は自分の中にある材料だけだった。

そのことに気づいたとき、
初めて「限界」という言葉が浮かんだ。

無理をして壊れる前に、
ここが行き止まりだと認める。
それは敗北ではない気がした。

むしろ、
現状を正しく認識する
一つの判断だと思えた。

一人で考え続けることが、
もう解決に近づかないのなら、
やり方を変える必要がある。

そう感じた瞬間、
焦りよりも妙な静けさがあった。

これ以上、
同じ場所で足踏みを続けるのは、
やめてもいいのかもしれない。

その考えが浮かんだこと自体が、
一つの区切りだった。

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この記事を書いた人

「理由は分からないけれど、何かがおかしい気がする」
そんな感覚を抱いたことのある方に、少しでも共感していただけたらと思い、このブログを続けています。日々の出来事や感じたことを、自分なりの言葉で淡々と綴っています。

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