冷静でいることは、
自然な状態ではなかった。
気づけば、
無意識にそうなっている、
という類のものではなく、
意識してそうあろうとしている状態だった。
感情的にならないように。
早まった判断をしないように。
極端な結論に勢いで飛びつかないように。
その一つひとつを、
自分に言い聞かせながら、
日々を過ごしていた。
冷静でいれば、
後悔しないはずだ。
間違った選択をしなくて済む。
少なくとも、
感情に振り回されるよりは、
安全なはずだと思っていた。
だから、
それは自分を守るための努力だった。
記録を書くときも言葉を選んだ。
強すぎる表現は避け、
決めつけに聞こえる書き方にならないように、
何度も書き直した。
「いつも」「絶対」「もう無理」
そういった言葉は、
無意識に遠ざけていた。
冷静さは、
正しさに近いものだと思っていた。
少なくとも感情のままに動くよりは、
大人で、理性的で望ましい姿勢だと。
でも、その冷静さは、
常に維持が必要だった。
少し油断すると、
怒りや悲しみが顔を出す。
思っていた以上に、
感情は近くにあった。
だから、
気づかれないようにすぐに押し戻す。
考えすぎだ。
落ち着け。
今は判断しなくていい。
そうやって、
内側でブレーキをかけ続けていた。
一日中、
どこかに力を入れている感覚があった。
全力ではないけれど完全に緩めることもできない。
常に、
踏ん張り続けているような状態だった。
冷静でいるということは、
感情がないことではない。
何も感じていない状態でもない。
むしろ、感情がある前提で、
それを表に出さないように、
制御し続けることだった。
その制御が、
思っていた以上にエネルギーを使っていた。
誰にも見えない場所で、
ずっと踏ん張っている。
倒れないように、
崩れないように、
静かに力を入れ続けている。
それが、
いつの間にか日常になっていた。
冷静でいようとしている自分を、
褒める気にはなれなかった。
特別なことをしているわけではない。
当たり前のことを、
当たり前にやっているだけだと、
そう思っていた。
でも、
今振り返ってみると、
それは明らかに努力だった。
しかも、
かなり無理のある努力だった。
冷静さは、
確かに盾にはなっていた。
衝動から守ってくれたし、
状況を悪化させない役割も果たしていた。
ただし、
それは長く持てる盾ではなかった。
気づかないうちに、
腕が疲れていて、
重さに耐える余力が、
少しずつ削られていた。
冷静でいようとしていた自分は、
守られているつもりで、
同時に消耗し続けてもいたのだと思う。
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