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淡々とした日々が一番つらかった

大きな衝突はなかった。
決定的に壊れるような出来事も、
関係を一変させるような言葉もなかった。

泣き崩れるような夜もなければ、
感情をぶつけ合うような場面もない。
怒鳴ったり、責めたり、
はっきりとした対立が生まれることもなかった。

毎日は、
ただ淡々と進んでいた。

予定はこなされ会話は最低限続き、
表面的には何事もなく回っているように見えた。

それが一番つらかった。

もし何か大きな問題が起きていれば、
向き合う理由ができた。
はっきりとした原因があれば、
考える方向も定まった。

怒りや悲しみが爆発すれば、
自分の中の気持ちも
否応なく表に出てきただろう。

でも、
何も起きない日々は
判断を鈍らせる。

問題がないように見えるから、
無理に動く理由が見つからない。

この程度で悩むのは、
大げさなのではないか、
そんな考えも浮かんでくる。

記録を見返しても、
特別な出来事は、
ほとんど残っていなかった。

印象的な言葉も、
劇的な変化もない。

あるのは、
似たような日付と、
似たような内容だけだった。

それでも、
同じような日が、
何日も、何週間も、
静かに並んでいく。

淡々としている、ということは、
必ずしも安定している、
という意味ではなかった。

安心できているわけでも
満たされているわけでもない。
ただ、
変化が起きていないというだけだった。

その違いが、
後からじわじわと効いてくる。

感情を抑え、事実を見て、
できるだけ冷静でいようとしても
それでも何も動かない日々。

何かが悪化しているわけでもない。
良くなっている実感もない。
ただ、
同じ状態が続いている。

その静けさの中で、
ふと浮かんできたのは、
「このまま続くかもしれない」という可能性だった。

今だけではなく、
来月も、半年後も、
同じような日々が続くとしたら。

その想像が、
一番重くのしかかってきた。

劇的な不幸よりも、
終わりの見えない平坦さの方が
心をすり減らすこともある。

淡々とした日々は、
刺激がない分、
自分の中の違和感だけが、
静かに残り続ける。

それを無視し続けることの方が、
何かが起きるよりもずっと苦しかった。

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この記事を書いた人

「理由は分からないけれど、何かがおかしい気がする」
そんな感覚を抱いたことのある方に、少しでも共感していただけたらと思い、このブログを続けています。日々の出来事や感じたことを、自分なりの言葉で淡々と綴っています。

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