感覚ではなく、
数字を見るようになった。
どう感じたか、ではなく、
実際にどうだったかを確かめるためだった。
日付。
回数。
間隔。
いつ連絡を取ったのか。
どれくらいの頻度で会っているのか。
どのくらいの間、何も起きていないのか。
一つひとつは、
普段なら意識しない情報だった。
その場の雰囲気やその時の気分で
曖昧に処理してきた部分でもあった。
でも、
それを並べてみることにした。
感情を挟まず、評価もせず、
ただ事実として書き出した。
数字は、
とても静かだった。
良いとも悪いとも言わないし、
期待も失望も含まない。
ただ、そこにあるものを、
そのまま示しているだけだった。
どれくらい話しているか。
どれくらいすれ違っているか。
「思っていたより話していない」
「意外と間隔が空いている」
そう感じた瞬間もあったけれど、
それはすでに感情だった。
数字そのものは何も語らない。
都合のいい解釈も、
希望的観測も数字は受け付けない。
「忙しかっただけかもしれない」
「たまたま重なっただけかもしれない」
そうした言い訳は、
数字の前では、
ただの想像に戻ってしまう。
並べてみると、
はっきりしてしまうことがあった。
少ない、という事実。
空いている、という時間。
続いていない、という流れ。
それは、
感覚では分かっていたことでもあった。
でも、
数字として目にした瞬間、
逃げ場がなくなった。
そこに理由を書き足せば、
また感情が入り込む。
なぜそうなったのか。
どうして続かなかったのか。
相手の事情や、
自分の期待や、
さまざまな想像が、
一気に動き出す。
だから、
理由は書かなかった。
数字だけを置いた。
説明もしなかった。
納得しようともしなかった。
ただ、
そうなっている、
という状態だけを、
そのまま残した。
数字は冷たかった。
温度がなく、
慰めもなかった。
でも同時に、
嘘をつかなかった。
感情は、
どうしても揺れる。
今日は大丈夫でも、
明日は不安になる。
でも、
数字は変わらない。
見返しても同じ位置に
同じ形で残っている。
見たくなかったのは、
現実そのものではなく、
それが少しずつ確定していく感じだったのかもしれない。
曖昧でいられた余地が、
数字によって静かに埋められていく。
その過程が一番怖かった。
数字は何かを決断させるわけではない。
でも、
決断を先延ばしにする余白を
少しずつ奪っていく。
それが、
現実を突きつけられるという感覚だった。
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