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期待する気持ちを手放した

期待しないようにしよう
と強く決めたわけではなかった。

何かを諦めようと覚悟した日が
はっきりとあったわけでもない。

ただ、振り返ってみると
ある日を境に自分の中から「期待」という感情が、音もなく薄れていったことに気づいた。

それは決断というより
長い時間をかけて染み込んでいたものが
ふと抜け落ちたような感覚だった。

以前の私は心のどこかでずっと考えていた。
何かを言えば状況は変わるかもしれない。

今は伝わらなくても待っていれば、いつか気づいてくれるかもしれない。
今は余裕がないだけでタイミングさえ合えば、わかってもらえるかもしれない。

そんな「かもしれない」を、確信ではないと分かりながらも、
希望のように握りしめていた。
その小さな期待があることで、関係を続ける理由にもなっていたし、
自分を納得させる材料にもなっていた。

けれど、その期待は何度も裏切られた。
はっきり拒まれたわけではない。
否定されたわけでもない。
ただ、何も起きなかった。

変化はなく、言葉もなく、
こちらの思いだけが宙に浮いたまま、静かに時間だけが過ぎていった。
そのたびに落ち込む自分、
勝手に期待して、勝手に失望している自分に、
少しずつ疲れていった。

なぜ分かってくれないんだろう。
どうして気づいてくれないんだろう。
そんな問いを繰り返すうちに、
その問い自体が、もう苦しくなっていた。

あるとき、ふと考えるようになった。
もしかしたら、私が期待している前提そのものが、
相手の中には存在していないのかもしれない。

私にとっては大切なことでも、
相手にとっては、考える必要のないことなのかもしれない。
そう思った瞬間、
それまで「希望」だと思っていた期待が、
実は自分を縛る重たいものだったと気づいた。

期待は、相手を信じる気持ちだと思っていた。
でも実際は、
相手に変化を求め続けることで、
自分を苦しめる原因になっていたのかもしれない。

期待を手放すと、不思議と楽になる部分もあった。
何も起きなくても、以前ほど驚かなくなった。
返事がなくても、理由を深く探さなくなった。
変わらない現実を、無理に肯定も否定もしなくなった。

感情が動かなくなった、というより、
感情を過剰に揺らさなくなった、という方が近い。

ただ、その静けさの中には、
少し寂しい感覚も確かに残っていた。

もう信じていないのかもしれない。
期待しないことで、自分を守っているだけなのかもしれない。

そんな思いが、答えを持たないまま、
心の奥に静かに横たわっている。

それでも今は、
期待を抱いて傷つくより、
何も期待しない自分でいる方が、
少なくとも心は穏やかでいられる。

それが正しいのかどうかは、まだ分からない。
ただ、今の自分が選んだ確信として、
この静けさを受け入れている。

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この記事を書いた人

「理由は分からないけれど、何かがおかしい気がする」
そんな感覚を抱いたことのある方に、少しでも共感していただけたらと思い、このブログを続けています。日々の出来事や感じたことを、自分なりの言葉で淡々と綴っています。

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