偶然という言葉はとても便利だ。
説明できないことを一旦そこに置いておける。
理由を探さなくていい。
深く考えなくていい。
今すぐ答えを出さなくてもいい。
「たまたま」
その一言で、
思考を止めることができる。
これまでは、
何度もその言葉に助けられてきた。
でも、
その便利さが最近は逆に不自然に感じるようになった。
ある日の夜。
「今週、また予定変わる」
特別な前置きもなく嫁がそう言った。
「そうなんだ」
反射的に返す。
声のトーンもいつも通りだと思う。
「ちょっとバタバタしてて」
理由としては十分にあり得る。
仕事が忙しい時期。
予定が流動的になることもある。
「前も同じこと言ってたよね」
自分でも驚くほど
自然に口から出た。
責めるつもりはなかった。
確認のつもりでもなかった。
ただ、
事実として思い出したことを
そのまま口にしただけだった。
「そうだっけ?」
軽い返事。
否定もしていないし
認めてもいない。
深く考える様子もなく
そのまま流される。
会話はそこで一旦途切れた。
一回なら偶然だ。
二回でもたまたまと言える。
忙しい時期が重なっただけ
という説明もできる。
三回、四回と続いても
「最近はそういう時期なんだろう」
そう納得しようと思えばできなくはない。
でも、
同じ流れが何度も繰り返されると
少しずつ見え方が変わってくる。
予定が変わる。
理由は曖昧。
説明は短い。
深掘りはされない。
その一連の流れが
毎回ほぼ同じ形で現れる。
出来事そのものよりも
パターンのほうが目につく。
そして、
そのパターンを
「偶然」と呼び続けることのほうが
無理をしているように感じられた。
起きている出来事が不自然なのではなく
それを偶然として処理し続ける自分のほうが
どこか不自然だった。
「また、同じだ」
そう思った瞬間、
胸の奥で何かが静かに固まった。
大きな衝撃はない。
劇的な確信もない。
でも、
一つだけはっきりしたことがあった。
もう偶然とは思えない。
思えなくなってしまった。
そう思った瞬間、
逃げ道が一つ静かに消えた。
これまでは、
「偶然」という言葉が最後のクッションになっていた。
そこに落とし込めば、
それ以上進まずに済んだ。
でも今は、
そのクッションがもう使えない。
偶然ではない、
と断定したわけじゃない。
ただ、
偶然だと信じ続けることが
一番苦しい選択になってしまった。
その事実が、
重く確実に残っていた。
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