翌朝、目覚ましが鳴るより少し早く目が覚めた。
まだ外は静かで部屋の中も薄暗い。
カーテンの隙間から、
いつもと変わらない朝の光が細く差し込んでいる。
その光を見た瞬間、
なぜか少しだけ安心した。
昨日まで考えていたことが
夢の続きだったような気がして。
隣では、嫁がまだ眠っていた。
規則正しい寝息。
力の抜けた表情。
そこにあるのは、見慣れたいつもの顔だった。
疑う理由なんてやっぱりない。
寝ている姿を見ていると、
昨夜までの考えが、少し大げさだったように思えてくる。
「昨日考えすぎただけだ」
心の中で、そうつぶやいた。
自分に言い聞かせるように何度か繰り返した。
静かにベッドを抜け出し、
音を立てないようにドアを閉める。
廊下の冷たい空気が、頭を少しだけ冷やしてくれた。
キッチンでコーヒーを淹れる。
ポットの湯気。
豆の香り。
いつも通りの手順をなぞることで、
昨日までの不安を日常の中に溶かそうとした。
子どもを起こし、
寝ぼけた顔をなだめながら身支度を手伝う。
朝食を並べ、テレビをつけ、
時間を確認する。
何も変わらない朝。
何もおかしなところはない。
しばらくして、嫁も起きてきた。
少し眠そうな顔で、キッチンに立ち、
「おはよう」と言った。
その声を聞いた瞬間、
昨夜胸に引っかかっていた違和感が、
ふっと軽くなった気がした。
声のトーンも、表情も、いつも通り。
ぎこちなさも、よそよそしさも感じられない。
やっぱり、気にしすぎなんだろう。
毎日同じように生活していれば、
ほんの小さな変化でも、
不安なときには大きく見えてしまう。
夫婦なんてずっと同じ距離感で
いられるわけじゃない。
会話が減る時期もあればそれぞれが
自分のことで手いっぱいになる時期もある。
それをいちいち疑っていたら、
きりがない。
そう思いながら家を出た。
通勤電車に揺られながら、
ぼんやりと窓の外を眺める。
いつもの景色。
いつもの混雑。
そのとき、ふと頭に浮かんだ言葉があった。
「夫婦 会話が減る」
はっきり検索したわけでもないのに、
その言葉だけが、妙に鮮明に浮かんできて、
慌てて打ち消した。
そんなことを考える必要はない。
うちは大丈夫だ。
これまで何も問題なくやってきた。
そう言い聞かせるように、
スマホをポケットにしまった。
余計な情報を見るのはやめよう。
不安を増やすだけだ。
それでも、
心の奥に残る小さな引っかかりだけは、
完全には消えてくれなかった。
朝の光の中では見えなくなったはずの違和感が、
影のように、静かについてきている気がして。
その感覚を振り払うように、
俺は今日も、いつも通りの一日を始めた。
何も変わっていないと、
自分に言い聞かせながら。
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