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「もしも」を考える時間が増えた

もしも、
という言葉がいつの間にか
意識せず浮かぶようになった。

考えようとしたわけじゃない。
必要に迫られたわけでもない。

ただ、
隙間があるとそこに入り込んでくる。

もしも、
今日の返事が違っていたら。

もしも、
あの沈黙のあともう一言付け足していたら。

もしも、
あのとき何も考えずに笑えていたら。

一つ一つは意味のない仮定だ。

過去は変わらない。
答えが出るわけでもない。
現実が書き換わることもない。

そんなことは分かっている。

それでも、
空白があると「もしも」が入り込んでくる。

歯を磨いているとき。
信号待ちの数十秒。
画面をぼんやり眺めている時間。

何かをしていない瞬間ほど
思考が勝手に動き出す。

考えないようにしている時間ほど考えてしまう。

「やめよう」

そう思った直後に別の「もしも」が浮かぶ。

もしも、
今の距離感が最初からこうだったら。

もしも、
自分が気づかなければ何も起きていなかったら。

もしも、
これは全部自分の問題だったら。

答えは出ない。
出るはずがない。

でも、
条件分岐だけが増えていく。

Aだったらどうなっていたか。
Bを選んでいたら何が違ったか。

気づけば、
何かをしている最中でも
頭の片隅で小さな分岐を繰り返している。

その日の夜も何気ない会話があった。

「明日、早い?」

「うん、たぶん」

「そっか」

それだけ。

短くて、
何も含んでいないやり取り。

……のはずなのに。

もしも、
今の「たぶん」が別の意味だったら。

もしも、
そこに含まれているのが曖昧さじゃなく距離だったら。

そんな考えが勝手に差し込まれる。

止めようとしても
完全には止まらない。

今はまだ行動ではない。

何かを確かめたわけでも
踏み込んだわけでもない。

ただ、
思考の使い方が
以前とは明らかに変わっていた。

昔は、
「起きたこと」を考えていた。

今は、
「起きなかった可能性」を
無意識に並べている。

現実よりも、
分岐のほうに時間を使っている。

それが、
少し怖かった。

「もしも」を考えている間は
まだ動かなくていい。

決めなくていい。
選ばなくていい。

その場所に、
とどまれてしまうからだ。

でも同時に、
「もしも」が増えているということ自体が
もう前の段階ではないことを
示している気もしていた。

今はまだ行動ではない。

でも、
思考はもう動き始めている。
そのことだけははっきりしていた。

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この記事を書いた人

「理由は分からないけれど、何かがおかしい気がする」
そんな感覚を抱いたことのある方に、少しでも共感していただけたらと思い、このブログを続けています。日々の出来事や感じたことを、自分なりの言葉で淡々と綴っています。

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