最初は「気のせい」だった。
何か引っかかることがあっても
そう言えば片づいた。
自分の受け取り方の問題だ。
疲れているだけだ。
深く考えすぎている。
そうやって納得できていた。
次に、
それは「違和感」になった。
気のせい、と言い切るには
少し残るものがある。
説明はできないけれど
無視もできない。
言葉にするなら、
違和感。
それが一番近かった。
でも今は、
また別の言葉が浮かんでいる。
はっきりとした形ではない。
辞書に載っているような言葉でもない。
まだ声に出せないし
文章にしようとすると
どこか嘘っぽくなる。
それでも
頭の中で使う言葉が
確実に変わってきているのが分かる。
「気のせい」ではない。
「ただの違和感」でもない。
もっと重たい何か。
でも、
それを名指ししてしまうのが怖くて
まだ避けている。
夕飯のあと洗い物を終えて
二人でソファに座っていたときのことだった。
テレビはついていたけれど
誰もちゃんと見ていない。
そんな時間。
「最近、静かだね」
不意に嫁がそう言った。
責める口調でもない。
探るような感じでもない。
本当に、
ふと思ったことを口にしただけ
という雰囲気だった。
「そう?」
短く返す。
「うん、前より」
その一言が胸の奥に静かに沈んだ。
否定もできない。
でも肯定もしたくない。
「仕事が忙しくてさ」
そう言えば済む話かもしれない。
「疲れてるだけだよ」
そう笑って流すこともできたはずだ。
昔なら、
間違いなくそうしていた。
「そうかな?」
と笑って会話を終わらせていた。
でも今は笑えなかった。
言葉が出てこなかった。
何を言っても本当じゃない気がした。
沈黙がほんの数秒流れた。
嫁はそれ以上何も言わず
またテレビに視線を戻した。
その仕草を見てまた一つ、
言葉が頭の中で更新される。
自分でも、
はっきりとは分からないまま。
言葉が変わると
見え方も変わる。
同じ場面でも
拾う情報が変わる。
同じ言葉でも
意味の重さが変わる。
そして、
見え方が変わると
戻る場所がなくなる。
「気のせい」と言えていた頃には
もう戻れない。
「違和感」で止めていられた場所も
通り過ぎてしまった。
自分の中で
確実に段階が進んでいる。
それは、
誰かに宣言するような変化ではない。
でも、
自分自身にははっきりと分かる。
何かを見始めてしまった
という感覚。
それを、
もう誤魔化せなくなっていた。
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