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気のせいでは済まなくなった

これまではどこかで必ず
「気のせい」という逃げ道を残していた。

違和感を感じても深く考えすぎないようにする。
自分の受け取り方の問題だと思えば一旦は納得できた。

人は同じ出来事でも
気分や状況で受け取り方が変わる。

だから、
違和感が生まれること自体は
特別なことじゃない。

そうやって
自分を落ち着かせてきた。

実際、日常は大きく崩れていない。

朝は来るし仕事もある。
家では会話もあるし笑顔だってある。

外から見れば何も問題のない生活だ。

だから、
深刻に考える必要はない。
そう思おうとしてきた。

考えすぎるほうがむしろよくない。
気にしなければそのうち消える。

これまでは
その考え方が通用していた。

でも、
最近は違っていた。

「気のせいだ」

そう言葉にしても違和感は消えない。
時間が経っても薄れていかない。

むしろ、
その言葉を使うたびに
自分を誤魔化している感覚が
強くなっていった。

気のせいなら
もっと簡単に忘れられるはずだ。

ふとした拍子に思い出しても
「まあいいか」で終われるはずだ。

気のせいなら
ここまで何度も考え続けていない。

日常の中で
何度も立ち止まる理由にはならない。

そう思うようになってから
違和感の重さが変わった。

大きくなったというより、
質が変わった。

軽く触れても簡単には動かない。
避けようとしても視界の端に残り続ける。
確信にはまだ程遠い。

はっきりとした事実があるわけでも
決定的な証拠が出たわけでもない。

誰かに説明できるほど
整理されたものでもない。

それでも、
軽く流せる段階はもう過ぎていた。

「気のせい」で済ませるには
あまりにも長かった。

あまりにも繰り返されていた。
一度や二度なら偶然で済んだ。

でも、
時間を置いても、形を変えても
何度も顔を出す。

それを、
すべて「気のせい」で片づけるのは無理がある。

そう感じている自分を
もう否定できなかった。

ここまで来てしまった以上、
無理に楽観的になることのほうが不自然に思えた。

まだ、
答えは出ていない。

でも、
「何もない」と言い切る場所にはもう戻れない。

気のせい、
という言葉が最後の逃げ道だった。

その逃げ道が静かに塞がれてしまった。

それだけのことなのに
世界の見え方が少し変わった気がした。

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この記事を書いた人

「理由は分からないけれど、何かがおかしい気がする」
そんな感覚を抱いたことのある方に、少しでも共感していただけたらと思い、このブログを続けています。日々の出来事や感じたことを、自分なりの言葉で淡々と綴っています。

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